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High Spirits Flutes社のはじまり

ハイスピリットフルート社の創業者であるOdell Borg氏(以下、オデール)。
彼がこの会社を設立した経緯と、一番最初に手作りしたフルートの歴史をご紹介します。

オデール・ボルグとインディアンフルートの出会い

ネイティブフルートがオデールの人生に登場したのは1988年のこと。クリスマスプレゼントとして受け取ったのが最初の出会いでした。
それまでオデールは楽器を演奏したことが一度もありませんでしたが、フルートの演奏を始めると、その音色の豊かさや楽器の魅力がもたらす喜びに圧倒されました。
フルートはすぐにオデールの心安らぐ友人になりました。

1990年、オデールはすべてを失い人生で非常に困難な時期を過ごしており、自身の人生を立て直すのにとても苦労していました。そんな中、ある友人が「あなたはずっと木工職人だったのだから、フルート作りに挑戦してみてはどう?」と提案しました。オデールは当時うつ病を抱えており精神的なやる気の欠如と戦っていましたが、そのアイデアは彼の心に響き、オデールが必要としていた平穏と安らぎをフルートがもたらしてくれると感じたそうです。

最初のインディアンフルート

オデールには船や家具を製作する木工職人の友人がいました。オデールはその友人にフルート作りのアイデアを持ちかけると、彼はオデールに大小様々な工具の使い方から精密な木工の技術など惜しみなく時間を割き指導し、導いてくれました。
そのおかげでオデールは、香り豊かなアロマティックシダー材を使用した「F#」キーのフルートを4本制作することに成功しました。初めて聞いたその音色は、オデールに感動幸福を与えました。

そのとき、オデールはできるだけたくさんの人にネイティブフルートを届けようと決心したそうです。

High Spirits Flutes社の設立

オデールは最初に制作した4本のフルートのうち1本を、フルート作りを提案してくれた友人にプレゼントしました。
彼女はとても喜び、称賛し、そしてオデールの新しい目標を応援してくれました。
当時のオデールの悲惨な経済状況を知っていた彼女は、オデールが本格的にフルート作りを始めるのに必要な道具を買えるように、小切手を切ってくれました。その資金を元にオデールは、カリフォルニア州ソラナビーチのワンルームアパートの隣にある、車1台分のごく小さなガレージに木工所を開きました。そここそが、オデールのフルート製作の旅の始まりの地となりました。

製作技術の進化と普及活動

最初のフルートは2ピースに分割成形したものを組み合わせて製作しました。平らな仕上げで、弾丸型のマウスピースという構造で、これを四角い木材から作りました。エッジは丸みを帯び、円筒形になるように手作業で研磨しました。また、このフルートのチャンバーディバイダー(バードの下にある、マウスピースと管体の間にある壁部分のこと)は、本体とは別の木片で作られていましたが、息の湿気がフルート本体を膨張させて割れてしまうことがすぐにわかりました。代わりにコルクを使用することで解決しました。※

インディアンフルートの製作技術が上達するにつれ、オデールは音楽フェスティバルやアートフェアなど、この楽器について知りたい人がいそうな場所ならどこにでもフルートを持ち販売し始めました。
オデールはバンでアメリカ西海岸中を旅しましたが、ほとんどの人がインディアンフルートのことを知らず、平和のパイプやマリファナの道具だと思っていることがすぐにわかりました。
また、人々はフルートの自然な美しさと心温まる音色に惹かれてはいましたが、自分で演奏できる楽器とは思ってもいなかったのです。


そこでオデールは、ブースに来た人全員に”販売”ではなく“教える”ことを使命としました。
人々は少し演奏できるようになると、すぐに熱狂的になり、フルートは自然に売れていきました。

※現在は、1枚の木材をくり貫いて製造する1ピース構造になっていますので、コルクは使用されていません。

インスピレーションの源

フルートの販売を開始して数年後、一本の電話がありフルートが割れたと報告がありました。そして送り返してくれたフルートを見たオデールは、何が問題なのかすぐに判断できました。なぜなら、そのフルートはオデールが製作した最初のフルートのうちの1つだったからです。
オデールは「最初に生まれた」フルートの1つを手にすることができたことに喜び、その持ち主に代わりのフルートを送ることを申し出ると、彼も喜んで応じました。

それ以来、このオリジナル(原点)のフルートはオデールにとってインスピレーションの源であり、ネイティブフルートが導いてくれた素晴らしい人生の旅を思い出させてくれるそうです。

ネイティブフルート製作を始めた当初のオデールの技術や音楽的知識は非常に限られていましたが、ネイティブフルートに対する情熱と感謝の気持ちが、30年以上に渡り多くの困難を乗り越える力となってきました。

フルート製作は非常に繊細な芸術であり、デザインや構造のわずかな違いでさえ最終的な音に大きな影響を与える可能性があります。

このような毎日繰り広げられる創造的なプロセスは、それ自体が継続的な学習体験であり、やりがいのある挑戦であり、オデールにとっての糧となっています。

この記事の著者

Yosuke Matsuishi

1991年11月生まれ。愛知県半田市 出身。
2014年に㈱ヤマハミュージックジャパンに入社し、主に管楽器やギター等を中心とした楽器販売を行う。その後、家業である㈱マツイシ楽器店に入社し、営業部長として販売、学校・法人営業、音楽教室運営、各種イベント企画などを行う中でインディアンフルートと出会いクリント・ゴス氏の研修に参加。2023年、ハイスピリッツフルート輸入代理店であるジャッキープランニングオフィスの事業を引き継ぐ。
現在、㈱ジャッキープランニングオフィス代表取締役社長、㈱マツイシ楽器店 取締役副社長、名曲堂楽器㈱代表取締役社長、半田ジュニアブラスバンド事務局長を務める。

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